2007年生まれ男女比率

去年、うちでは娘が生まれたのですが、仮に娘の名前をたまちゃんとして、たまちゃんは早速男友達が7人います。たまちゃんのおかんの友達で2007年に生まれた赤ん坊たちは
1月(あおいくん)、3月(しゅんたくん)、5月(こうくん)、6月(ゆうたくん)、9月(とにおくん)、11月(れんとくん)、12月(ぶんろくくん)と計7人いますが、みんな男の子! 女の子はたまちゃんだけ、という。将来モテ街道まっしぐら、なんだかしらん。しかも、娘、半眼半句、仏様のようなお顔、とよく年配のかたたちに言われたり、かなり和風美人になるんじゃないかしらん、と期待大。

それはさておき、娘には世間や周囲に振り回されず、自分の価値基準を築いて、それに忠実にあっておもしろい世界観を見せてくれたらいいなぁ、とか思ったりします。そして、出生率一昨年から上昇してますが、プチベビーブームな競争社会でたまちゃんがうまいことサーバイブするたくましさとスキルを養うサポートを親としてはしてあげたい、と思う次第であります。

っていう風に、毎日毎日子供のことばかり考えていたりするのですが、(たまちゃんの顔を見て泣いたり、笑ったり……)
ついさきほど、ぽちっとクリックしてみた某mixiのコミュで以下のような書き込みをみかけました。


引用はじめ
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>解らないのは、
丸山圭三郎氏の「ソシュール」がいう「シニフィアン」と「シニフィエ」です。
>丸山氏は「恣意性」ではなく、「恣意的必然性」を強調するのですが、
>これが一体どういうことなのか、どなたかできれば解り易く説明していただけないでしょうか。

ソシュールの思想』を十分読み込んでいないので、ちょっと答えられないのですが…。
少し外れますが、影浦/田中訳のコンスタンタン『ソシュール 一般言語学講義』をぼちぼち読み、再度『ソシュールの思想』に戻って読み解いてみようというところなので。


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引用終わり

上記やりとりをチラリと見て、ものすっごくどーでもいー、というのか、ユルーイ気持ちになった。いや、丸山圭三郎は好きだけど、今はそれどころじゃない、という……。もっと動物的なんざんす。母は。母の大回転音頭的には。